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マスカレイド

「離して」

ビルの谷間から落ちそうな名前。その腕を銀時が掴んだ。
負けを認めて潔く死を受け入れようとした名前だったが、それはこの男の手によって引き止められる。夜風が2人を包む。名前の顔右半分にかろうじて残っていた、素顔を隠すための仮面の破片が脆く崩れ落ちていく。小さな破片はそのまま風に乗って消えてしまう。
名前はその風が自分を地獄に招いているような気がしてそのまま自分がぶつかるであろう地面を見つめた。

「死ぬんじゃねェ……。まだ借りた500円返してないだろ」
「返す気あったのならもっと前に返してくれればよかったじゃない」

銀時は必死に名前を引き揚げようとするが、先の彼女との戦闘により力が出ない。脇腹や頭部からの出血がひどいが、それでも彼は手を離そうとはしなかった。
一方名前も銀時との戦闘でかなり疲弊しているようで、掴まれている腕もそうでない腕も力なくだらりと重力に従っている。彼の顔を見る事なく、目線はひたすら遥か下方。

「しかし泣き虫女が暗殺計画なんて、世の中何が起きるかわかんねーな」
「それは昔の話でしょ」

数時間前、高層のビルの屋上で2人は再会した。同じ門下出身で同じ師を持った2人。泣き虫で何かあるとすぐに恩師の背に隠れるような、気の弱い女。銀時は名前の事をそう記憶していた。しかし師を亡くして数年後、こうして再会した女は暗殺者になっていた。
名前は師を殺した世界を恨み、政府関係者を暗殺する計画を実行しようとしていた。そこに偶然護衛の依頼を受けていた銀時と遭遇してしまった。激しい攻防の末、名前は銀時の一撃をくらいバランスを崩してビルから落下しそうになる。そして現在名前と銀時は崖っぷちにいた。
食いしばるような銀時の奇声を聞きながら名前は目を瞑った。

「500円なんてもうどーでもいいわ。くれてやる」
「うるせェェェェ!!いいからオメェも踏ん張れって!!!」
「無理ね」

名前の即答に銀時の額に血管が浮き上がる。

「人をこんなにボロボロにしておいて。十数年500円借りたままの図々しいやつ」
「500円の事根に持ってんじゃあねェかー!!」

銀時の背後で彼を呼ぶ男女の声が響いた。2人は急いで彼の元に駆け寄る。その声に安堵した銀時だったが、一瞬だけ気を抜いてしまいガクンと身体が揺れる。

「神楽ァァァ新八ィィィィ!はやく、早く引き上げてェェェェ!」

身体が限界に近く必死に声を上げると、神楽が勢いよく銀時の身体を引っ張った。大物を釣り上げる時の勢いだ。お陰で名前も銀時もビルの屋上に引き戻される。その姿は釣り上げられた魚のようで、2人して冷たいコンクリートの上に倒れ込んだ。

「……どっちにしても同じなのに」

銀時の元に神楽と新八が駆け寄った。対称に名前は1人で呟いた。

「暗殺未遂で晒し首かビルから落下死するか。どっちでも同じよ」
「同じな訳あるか」

2人に支えられながら銀時が立ち上がって名前の元へと向かって歩き出した。フラフラとしているが一歩一歩しっかりと踏み出し、名前の元へとたどり着いた。
名前の瞳は虚無を映すかのように、真っ暗な夜空を反射させている。しかしその闇に銀髪が映り込む。

「万屋銀ちゃんへの依頼は護衛だけだ。殺せ捕まえろって依頼はされてねェ。なぁ?」

口の端を吊り上げるように銀時がニヤリと笑う。それに釣られて左右の神楽と新八も笑う。

「残念ながら暗殺者の女はビルから飛び降り自殺しちまった。だが代わりに地獄に落ちそうな女を助けた。それでいいじゃねェか」
「そんなの、いいわけない。あなた達も捕まって終わりよ」
「だから言ってんだろ。……死んだんだよあの女は」

銀時は蹲み込んで名前の顔を見つめた。名前の顔には未だに仮面が残っており、その右目を隠すように覆っている。銀時は彼女の顔に残る仮面を外した。

「暗殺者ともあろう奴が、んな事で泣くかよ。お前は泣き虫女の名前だろ?」

名前のこめかみに涙が流れていく。
観念したのか、名前が銀時の顔を見つめ、震えた手で銀時の頬を撫でた。

「……できないよ。先生を亡くした復讐に旧友を殺すなんて出来なかった」
「だろうな」
「私にも、仲間がいれば違ったのかな?」

名前が銀時の後ろに立つ2人を眺めた。師を亡くしてから名前はずっと1人で復讐への計画を立ててきた。住んいた町を飛び出し、計画に必要な準備を全て1人でこなして来た。恩師を奪った世界に復讐したかったその一心で。
だが孤独な人間は脆い。名前の復讐の中に旧友を殺す事は入っていなかった。恩師を失い、旧友も失う覚悟はなかったのだ。旧友すら失えば自分はさらなる孤独に陥ってしまうことになる。名前はそれが怖かった。
名前が指す“仲間”は恩師を亡くした後に支えてくれる者か、共に復讐を果たす同志なのか。

「さぁな。にしても、似合わない仮面なんかするもんじゃねーよ。前見えんのかコレ?」

銀時は名前が付けていた仮面を透かすように月光に向けた。仮面は微かに月光を通した。
カッケェ!と神楽が銀時の手元からそれを奪った。自分の顔に付けて遊ぶ神楽に、新八がそれを返すように諭す。神楽は次に新八のメガネを奪い取り、代わりに仮面を付けさせ笑っている。そのやり取りを見て銀時が少しだけ笑った。
3人の姿を見て名前は静かに目を閉じた。今まで自分に手を差し伸べてくれた人物が何人いただろうか。復讐ばかりに囚われてその人らの事を疎かにしてしまっていたのではないか。死を選んだ自分の手を取ってくれた人は誰か。

「イテテテテ。おい怪我人放ったらかしで遊んでんじゃねーよ」
「神楽ちゃんそろそろ返して……」
「あっ……!」

神楽の手から仮面が滑り落ちた。落ちた仮面は地面を跳ねてビルの谷間へと吸い込まれた。

「あーあ、何やってんだよ」

頭をかく銀時と、落ちていった仮面を見送る神楽と新八。銀時は立ち上がって神楽の元へと近寄ると、彼女の頭を軽く叩いた。平謝りする神楽は今度は新八のメガネを落としそうになる。慌てて彼女の手元から本体を取り戻した新八。
それを見て彼らの後ろで名前は笑った。

「なんだ、仲間なんて目の前に、すぐ近くにいたんだ」

何もついていない自分の顔をぺたぺたと触る。彼女の仮面はもうどこにもない。

「銀時」
「どうした?」
「500円返せ。利子付きだから」