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サムライの国

「“侍の国”。僕らの国がそう呼ばれていたのは今は昔の話」

江戸の世は天人に支配されている。侍なんてものはとっくの昔に滅んでいる。しかし刀は捨ててもその魂は捨てていない。それが坂田銀時という男だった。
そんな彼の勇姿に惚れ込んだ名前は今現在の任務がなんなのか、目的もわからずに江戸の街へ向かっている。ただただ意中の人間に会えるかもしれない、そんな私利私欲だけで任務に同行していた。そんな煩悩まみれの彼女は数ヶ月ぶりの江戸の姿を上空から見守っている。

「ちっきゅう!ちっきゅう!えーど!えーど!」

変な即興の歌まで歌ってウッキウキの名前の姿を見て阿伏兎は大きくため息をつく。どうしたもんか、なんて頭を掻いては再びため息をついた。

「団長、悪いことは言わねぇ。名前だけ江戸の街観光でもさせて……」
「諦めなよ。江戸には“可愛い子には旅をさせよ”って諺があるんだって。それとも成長すべきは阿伏兎の方かな?」

子離れしろと主張する神威に反抗する様に口を尖らす阿伏兎は明後日の方を見ながら言い訳をする。

「いいやぁ?これから誰に会いに行くかもわからずにいる阿保を心配するのは保護者として当然?それだけだもん」
「じゃあ阿伏兎が教えてあげなよ。これから誰に会うかを」
「……そういうのは団長の仕事だろ」
「やっぱり子離れした方がいいよ」

窓ガラスの目の前を行ったり来たりするクソガキを見守る2人。今でこそこんなハイテンションな彼女が、今から会いに行く相手と顔を合わせればどうなるかが目に見えている。今ならまだ彼女だけ引き返す、または留守番の選択肢がある。
悩みに悩んだ末、阿伏兎は今ここで任務の目的を彼女に伝えることに決めた。今日イチ大きなため息のあと、阿伏兎は重い足取りで歩き出した。その姿を見た神威にはこの後の展開が読めていた。どうせ無駄だと。そして悲しいことに彼の予想通りに展開が進んでしまう。
ハイになっているところ申し訳ないが、と阿伏兎は恐る恐る名前に近づいた。何度か咳払いをして声をかけようとしたが、その瞬間彼女がその場で思い切り飛び跳ねた。

「うっひょー!江戸だーーーい!!」

窓ガラスに映った、これでもかと言うレベルに目を輝かせる名前の瞳に阿伏兎の心は折れた。何も言えず、逆再生するかのように行きと同じそのままの足取りで神威の元に戻った。

「おかえり。ま、阿伏兎が気に病まなくても、遅かれ早かれこんな日は来るんだよ」
「できれば俺の目の前では来てほしくなかった」

再び盛大なため息をこぼす阿伏兎の目の前で、能天気なクソガキは飛び跳ねた。

「いえぇーす!サムラーイ!!」

「おい、名前の奴どこに行っちまったんだ?」

云業が声を上げた時にはすでに名前の姿がなかった。第七師団は長い時間をかけてサムライの国に着いた。それを1番心待ちにしていたはずの名前の姿がなかった。云業の声にそういえばと神威が声を上げた。

「わがまま娘なら例のサムライとやらを探しに突っ走って行ったぞ。今頃どこかで迷子にでもなってるんだろ。あのすっとこどっこいが」

吉原にそのお目当のサムライがいるとは限らないのに勝手に走っていってしまった名前を思い出しつつ阿伏兎が言った。彼女のお目当のサムライとやらがこんな場所──よりにもよって吉原──にいるなんて考えたくなかった。いくら名前が自分の子ではないとはいえ、長年の仲の娘が好きになった相手をこの場所で見かけて欲しくはない。どう考えても気不味い。それだけではなく、もしそのサムライが春雨の敵となって現れたのなら面倒だ。阿伏兎は盛大にため息を吐きながら神威のあとを追った。
だがすぐに頭上から阿保の声が降りかかる。

「ダンチョー!やっと見つけたよ。全く、どこ行ってたの!だめでしょ迷子になっちゃ!」

天井のパイプから飛び降りてきた名前が阿伏兎の目の前に着地した。

「ソイツは一体誰のセリフだ」

「いやお前の方だろ」という感想は敢えて口に出さなかった云業だが、その気持ちを阿伏兎が代弁した。一方で先頭を歩く神威は、背後なんて全く興味を示さないように適当にあしらう。

「名前こそ。吉原社会科見学は阿伏兎の精神に良くないから程々にしといてよ」
「はーい!」

珍しく迷子から自力で復帰した名前の姿に云業は驚いた。迷子になると自力で帰ってこれないので阿伏兎に迎えに来てもらうのが名前の通常だった。しかし今回は短時間で、自力で戻ってきたのだ。流石にそう広くはない吉原で、明らかに異端な格好をしている一行がいれば誰でも彼らを探し出せるようだ。と思った云業だったが、実際はそうではなかったようだ。

「んもー、ダンチョーたち派手に暴れすぎだよ」

数分前に起きた爆発音に気付いた名前は、興味本位でこの場所にやってきた。そしたらたまたま神威らを発見したのだった。ラッキーだった、なんて呑気なことを言う名前。
吉原に着いてそう長い時間は経っていないが、この場所が地上の街とは少し違う場所というのが流石の名前にもわかっていた。そんな空気の中、普通の人間が起こせる騒ぎのレベルを越えている爆発音に、もしかしたらお目当てのサムライがいると心躍らせていた事は秘密にした。結果的にはオッケーでしょ!ともうすでに思考を切り替えている。
そういえば、と名前が顎に人差し指を添えて考え始める。振り返って云業を見た彼女は、彼の姿を見て首を傾げる。

「……あれれ?うんぎょー、その子どしたの?連れ子??」

云業が肩に子供を担いでいる。紐で縛られているのでどう見ても「誘拐してきました!」という状況だ。名前は少年の顔を覗き込む。そのまま「似てないなぁ」と呟くと背伸びして少年の頭をぽんぽんと軽く叩いた。少年の方は必死に抵抗してジタバタ動いている。

「交渉材料だよ」

神威にそう言われて手を止めた名前は振り返ると神威の髪と一緒に靡く白い布に興味を持つ。ひらひら揺れ動くそれを追うように彼の前に回り込んだ。

「あれれ?よく見ればダンチョーもどしたの?包帯でぐるぐる巻きしちゃって」
「あぁ、そろそろ外そうかな。もう必要ないしね」

そう言ってスッと包帯を振り解いた神威の表情はどこか嬉しそうだった。珍しい横顔に驚く名前は歩くスピード遅めたがすぐに立ち止まった。
それを差し置いてさらに歩みを進める神威。名前はただ黙ってその背中を見送った。
彼女にはその表情が過去の出来事に対する感情の表れなのか、これから起きる“交渉”とやらに対するものなのか分からなかった。だが本当に珍しい表情を見てしまって体がうごかなった。
突っ立っている名前に阿伏兎が背後から様子を伺う。

「神威、何か良いことでもあったの?すっごく嬉しそうな顔してた」
「……さァな」
「えー、絶対さっきの爆発で何かあったんでしょー!」

はぐらかして先を急ぐと歩き出した阿伏兎の背中に向けて名前は飛び乗った。突然の重みに驚いた阿伏兎だったが、やれやれとそのまま彼女をおぶったまま目的地へと向かった。

「それでお目当ては見つかったのか?」

云業が思い出したように名前に言った。

「ううん、見つからなかった。……でも別の良いもの拾っちゃった!」

“良いもの”を“拾った”というワードに阿伏兎は嫌そうな顔をした。さらにはゴソゴソと服を漁っているので阿伏兎の背中でもぞもぞする彼女。拾ったものなんて、どうせろくなもんじゃない。

「うちの船はゴミ置き場じゃあないんだ、勝手にそうやって物を拾って……」
「ゴミじゃないもん!ま、阿伏兎にはこの価値がわからないもんねー!」

名前はある物を取り出すと、それを吉原の空に向かって掲げた。彼女をおぶっている阿伏兎からはそれが何かわからなかった。しかし後ろにいる云業には見えている。

「珍しいもんだな。名前も金属のガラクタ以外に興味があるとはなぁ」
「うん!これはちょっと特別なの。……阿伏兎にも見せてあげてもいいけどぉ〜」
「ケッ、俺は別に興味ないね。勝手にしてろぃ」

いいからそろそろ降りろ、と阿伏兎が背中から名前を下ろした。慌てて飛び降りた名前は持っていた物をすぐさま服にしまった。その際に一枚の花弁がヒラリと彼女の服から舞い落ちた。