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嫌な予感は大体当たる

案の定名前は迷子になっていた。
反抗期と称して勢いで神威らの元を離れたものの、特にすることもなく名前は屋敷内をぶらぶらしていた。少しでも足を止めると彼女は先程までの出来事を思い出してしまう。仲間の死と、自分を捨てた父親との再会。父親との再会は会話も目も合わせない、再会と言えるものではなかったが……。結局愛しの銀さんには逢えず、江戸に来てからも良いことがなかった。名前は廊下の壁を伝う様にしてしゃがみ込み、珍しくため息を吐いた。するとポケットの膨らみに違和感を受け、思い出したように桜の小枝を取り出した。
一見するとただの桜であるが、名前にはこの品種が特別である事を知っていた。
そもそもこの太陽のない閉じられた吉原で生き延びることができる植物は少ない。そんな中吉原の奥にひっそりとこの桜の木が生えていた。小ぶりだが立派な花を咲かせる木、各地に適応するために進化を遂げたこの品種は年中その花を咲かせる。多少弱ってはいたが、ある程度の花は咲かせていた。鉄屑の塊と銀時にしか興味がない名前だが、この桜には思い入れがある。彼女は勝手にその木によじ登っては小枝を切り取った。こんな話を阿伏兎にでもすれば「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」と返されるが、そんな言葉は彼女には関係なかったのだ。
小枝を指で摘んで回しながら名前は1人呟く。

「あの子、お母さんに会えたのかなぁ……」

今頃母親を探し回っているだろう少年のことを思い出す。
盗み聞きして得た神威らの話によると、鳳仙は日輪という女性を独占しているようだった。本当の娘である自分を差し置いて寵愛を受けている女性がどんな人か名前も当然気になった。自分が得られなかった父親からの愛を受けるというのはどんなものなのか、そう考えたがすぐにやめた。

「ま、今頃あんなエロジジイに愛されても嬉しくないモンねーだ!わたしには阿伏兎がいるし」

そう言って吹っ切れた名前はスッと立ち上がった。散歩の続きをしつつ阿伏兎でも回収しようとしたところで、近くから足音が響いてくる。段々と名前の元に近付いてくるようで、彼女はとりあえず近くの襖を開けた。一室の様だったので、その奥の襖を数枚開けると、驚くことに大好きな銀髪パーマと出会うことができた。

「銀さーん!!会いたかったよ〜!!こんなところで会えるなんて思ってなか……」

彼女はすぐさまその懐に飛び込もうと走り出した。しかし相手の方はそれを良しとしなかった。

「悪ぃけど、お前と遊んでる暇はねェ!!」

鳳仙へと向かう銀時は廊下の角を曲がったところで見知った顔と出会う。知り合ったのはつい最近で、会った回数もそう多くない。そんな顔見知り程度の相手だが、自分にとっての敵という事だけははっきりとした事実だった。こんな場所だろうが何処だろうが、宇宙海賊春雨の一員である彼女と出会った以上戦うしかない。
自分に向かってくる少女に銀時は木刀を構えた。その姿に名前は急ブレーキをかけて立ち止まった。

「つれないなぁ〜!」

身体を左右に揺らしながら名前は歩いて銀時に近付く。それを止めようと彼は木刀を力強く握った。そして木刀を彼女に向けて突きつける。

「交渉だ。お前とはまた今度遊んでやるから、今はそこをどきやがれ」
「嫌だ。わたしは今銀さんと一緒にいたいもーん。家出少女の心を癒すのは銀さんしか……」

顔を赤らめながら両手を顔の横で組む名前に向けて銀時は木刀を振り回した。そのせいで名前の言葉は遮られた。軽くしゃがみそれを回避した彼女は両頬を膨らませた。

「ひどーい!わたしは別に戦いたいワケじゃないもん!」
「ならさっさとそこを退けってんだ!」

戦いたいわけではないのならさっさと道を開けろと銀時は攻撃の手を休めなかった。今はこんな小娘を相手にしている場合ではない。仲間が命を懸けて切り拓いた道を彼は進むしかなかった。
自分に向かって迫り来る切先を上下左右に避ける名前は笑顔だった。少しも悲しみを感じないその表情に銀時は苛立つ。だが彼も彼女を傷付けたいわけじゃなかった。それ故になおさらこの道を開けて欲しかった。本気ではないとは言え木刀は彼女の身体擦れ擦れを切り裂く。

「いい加減に……しろォ!!」

ヘラヘラとしている名前の笑顔に向けて、銀時は威嚇とトドメの意味を込めて木刀で突いた。
いつもの死んだ魚のような目ではなく、獲物を狙う狩人のような鋭い目つきになった銀時の瞳は名前を映す。その瞳の中の彼女は、一瞬彼の瞳に気を取られる。反応が遅れたがそれでも名前はその場で横に回転するように避ける。しかし銀時の木刀は彼女の後頭部を掠めてそのまま壁に突き刺さった。

「あっぶな!」

流石に名前も冷や汗ものだったようで、胸元を手で抑えている。なんとかして木刀を避けた名前からの反撃を想定し、銀時はすぐさま木刀を引き抜き構えようとした。

「だーかーらー!わたしはただ、あなたに……!?」

名前は物怖じせず、相変わらず呑気に銀時の元に歩み寄ろうとした。しかし、それを遮るように彼女の足元に何かが落ちた。
ちりん。
名前は目を見開いた。何かに気付いたのか、何かを感じ取ったのか、薄く掠れそうな声でつぶやいた。

「あ、阿伏兎……?」

金色の鈴が名前と銀時の間の床を転がった。銀時はそれを見て眉を顰めた。なんでこんな物が、と思う彼の前で名前はそれを拾い上げようとしゃがみ込む。その姿を見て銀時は鈴が彼女の髪飾りの一部だと気付いた。
先程、かろうじて攻撃を避けた名前だったが、木刀は彼女の髪飾りを切りつけていた。それがこのタイミングで音を鳴らして落ちたのだ。
名前は鈴を拾い上げるとゆっくりと銀時に向けて歩き出した。鈴に気を取られた銀時はすぐに木刀を構えたが、名前は彼の真横を横切った。彼から離れて数歩歩いたところで彼女は振り返り笑う。

「ごめん、やっぱりまた今度ね!じゃーね!」

鈴を摘んだまま名前は走り出す。いきなりの彼女の行動に銀時は目を丸くして動けない。

「一体どう言う風の吹き回しだ、ってもういねぇ」

銀時が声を出せるようになった頃にはもう名前は居なくなっていた。何はともあれ、道は開けた。銀時は腑に落ちないが、それでも前に進んだ。

名前は走った。鳳仙に従う女たちをかき分け、飛び越え、本能と心が示す場所へ向かう。そこがどこなのかもわからない。それでも名前は走る。
あの鈴が鳴った時、彼女は自分の過去を思い出した。
ずっと昔のあまり思い出したくない記憶と共に、血の臭いがまるで現実のものの様に彼女の鼻腔を刺激した。しかし目の前には死体の山も血痕も何もない。臭いもすぐに和の建築特有の木の匂いにかき消された。
鈴の音がそれらを思い出させたのと同時に名前の中で嫌な予感がした。
──阿伏兎、まさか……。
阿伏兎の身に何かがあったかもしれない。
女の勘なのか、長年の共に過ごした縁なのか。髪飾りの鈴が何かを名前に知らせようとしたのかもしれない。だが、今はそんな事はどうでもいいと自分の中の予感を否定するために彼女は走った。
しばらくするとおそらく阿伏兎が戦闘で破壊しただろう無惨な部屋を見つけた名前。襖も畳も壁もボロボロで、血が点々としている。彼女がどの方角に彼がいるのか周りを見回したところ、背後で爆発音がしたのでその方角に向けて地面を蹴った。
目の前を遮る邪魔な襖を次々と蹴破った名前が見たのは、瓦屋根が地割れのように崩落し、それらと共に落ちていく阿伏兎だった。他にも青と赤の衣服を纏った少年少女も落ちていくがそんなのには目もくれず、気付いた時には深淵に向かって飛び降りていた。

──人生は重要な選択肢の連続だ。

そう言いながらも阿伏兎は自嘲気味に今の状況と言葉を照らし合わせた。
自分と戦った少年少女を手助けして自分は闇の底に真っ逆さま。片腕を失い、耳も齧られた。片足の骨も折られ、身体は闇の底へ落ちていく。
──どこで選択肢を間違えたのか。同族殺しを嫌い、団長の妹を覚醒させてしまった時か?いや、もっと前だ。鳳仙との喧嘩を止めに入った時……。いや、そんなんじゃないもっと前だ。あれは今から数年前……。
そう考え目を閉じた瞬間に上から何かが降ってきた。黒い影が阿伏兎の身体を覆った。

「阿伏兎ォォォ!!!!」

暗闇の中に名前の声が響く。その声は阿伏兎の耳にも嫌でも届いた。彼が目を開けて顔を上げると、自分と同じように暗闇に落ちていく彼女の姿があった。
名前は落ちながらも必死に阿伏兎へと手を伸ばし、服でも腕でも何でもいいから彼を掴んで引っ張りあげようとしていた。
いつにもなく懸命な彼女の表情に阿伏兎はついつい笑ってしまう。普段の仕事でも、大好きな機械いじりをしている時も、神威に取られたスイーツを奪い返そうとしている時も、今の一度も一心不乱に何かを求める表情をしたことがない。
珍しいものを見た、そう考えると同時に阿伏兎は思い出す。

──そうだ。この馬鹿娘と出会った時から俺は選択肢を間違えたんだ。