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01 日常

 “つまみ食い厳禁”
そう書かれている張り紙があるのは、真選組の厨房。女中たちは朝早くから食事の準備で大忙しだった。皆各々の作業に集中し、会話は業務に関わるものだけで、包丁とまな板がぶつかる音や、グツグツ煮込む音、パチパチと魚が焼ける音が響く。そんな緊迫した室内に、呑気な声が響き渡った。

「おっ今日は焼き魚ですかー!」

 ──来たか!女中たちは構え、出入り口をギロリと睨んだ。視線の先には、真選組局長である、近藤勲である。彼は目の前にある焼き魚が乗った皿を目にしてヨダレを垂らしそうになるが、それを抑える。そして、ひょいと焼き魚の横にあった漬物に手をつける。

「つまみ食い厳禁だっつってんだろこのクソゴリラァ!!」

 女中の1人が大声をあげる。年老いた顔のシワは、この怒りでさらに深く刻まれる。彼女は女中の中でも一番権力を持っている、いわゆるお局的なポジションの人間である。その姿を見るや、近藤は肩を跳ね上げる。
ほかの女中たちも、一斉に包丁を構え始める。近藤勲は、つまみ食い厳禁であるこの厨房でつまみ食いを繰り返す常習犯であった。

「名前ちゃん!!」
「はい!」

 名前と呼ばれた女性も、まな板の上の包丁を掻っ攫うと走り出した。狙うはゴリラ。長い黒髪を後ろで結い、髪を揺らして走る。服は着物に割烹着という、獲物を仕留めるには動きにくい服装である。しかし、そんな事を気にせずあくまで雇い主であるゴリラに向けて包丁を振りかざす。

 この日も雲ひとつない晴天であり、真選組の厨房から出る匂いが鼻腔をくすぐり、食欲を刺激した。それは土方も同じで、ピシリと真選組の制服を来こなし、匂いにつられて部屋を出た。

「待てクソゴリラ!」
「うぉぉお!!あっぶねェ!!!」

 部屋を出た瞬間、先程からゴリラを仕留めようと必死な名前とぶつかりそうになる。もちろん彼女の手には包丁。凶器の存在を一瞬で察知した土方は、自室に引っ込むように後ずさり包丁をかわした。

「あ、土方さん。おはようございます。お怪我はありませんか?」
「何してんだおめェ!んなモン振り回しやがって!」

 危うく朝っぱらから女中に殺されかける土方だったが、名前の服装と包丁を見て一瞬で状況をのみ込む。

「また近藤さん絡みか」
「はい。今日こそは朝食にゴリラの丸焼きでもご馳走しようと、女中共々精を出していましたが、今日も捕まえられず……。クソゴリラが」
「雇い主にその言い方はねェだろ」
「そうですね、あくまでも雇い主。近藤さんの温厚な性格でなければ許されない行為ですね」

 少ししょんぼりと、反省した声色で話す名前。握りしめている包丁を見つめ始めた。本来の立場、雇ってもらっている事を自覚したのか。というわけでもなく──

「ですが、何度注意してもやめないその犯罪行為。あれは人ではなくゴリラです。我々は近藤さんではなく、ゴリラを処す為にこの包丁を握るのです。この包丁はゴリラを屠る為にある!」

 決意したように真っ直ぐな目を土方に向け、包丁を握り直す名前。

「飯作れ!!ゴリラっつても、中身は近藤さんだから!!」
「朝っぱらから何騒いでるんですかィ」

 2人のやり取りを聞きつけて、沖田がどこからかやってきた。眠そうに目を擦りながら、頭にアイマスクをつけたまま2人に近づいてくる。
声に反応して、名前が振り返ろうとするが、それより早く沖田が声を上げる。

「あぁー滑ってぶつかってしまったー」
「ぅわっ!」

 棒読みの沖田の声に少し遅れて、名前と土方の声が重なる。
 沖田がわざと名前にぶつかったのだった。もちろん彼女の手には包丁。ぶつかった衝撃で土方の身体に体当たりしそうになる名前。再び包丁に襲われる土方だが、これまた再び瞬時に包丁を避ける。避けつつ、完全に倒れこむ態勢である名前を左腕で支える。

「……チッ」
「テメー、総悟。わざとだろ」
「んなこたァねーですぜ。ちょうど足元に、どっかのゴリラが置いたバナナの皮が……」
「んなモン何処にもねェだろ!」
「ゴリラ何処ですか!?今仕留めます!」
「仕留めんでいい!!!」

 あるはずもないバナナの皮を見つめる沖田と、いるはずもないゴリラを探しキョロキョロする名前。なんとも面倒な2人を前にして、土方は大きなため息を一つ。
二度も刺されそうになった彼だが、忘れてはいけないのが今の時刻が早朝という事である。まだ1日が始まって間もない、数分の間に2回も、しかも同じ女中に刺されそうになったのだ。彼の1日は不穏な出来事で幕を開けた。

「あっ、近藤さん」
「屠殺ッ!」

 沖田が突然何もない方向を指差し叫ぶ。それに吊られて、名前が瞬時に包丁を投げつける。特に何がいるわけでもない庭の木に包丁が突き刺さった音がする。

「危ねェからその包丁しまえ!!」

 結局つまみ食いゴリラは朝食前に捕まり、女中たちにボコボコに殴られ蹴られ。あの張り紙には達筆な字で、“つまみ食いは処刑”という言葉が付け足された。