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本当に脆いのは何か

人間が脆いのは昔から知っていた。

「ここにいたんだ。探したよ。」

ポツリポツリと雨が番傘に跳ねては滑り、次は地面に落ちる。一粒二粒と雨粒は番傘に挑んでは跳ねて地面に吸い込まれる。それは私の目の前にある墓石にも同様に、挑んでは滑り落ちて地面を濡らした。
墓石に刻まれている名前は難しい漢字であり、私の故郷では全く使われない、私には読めない物であった。人間は死ぬと、新しい名前が貰えるらしい。この墓石に刻まれているのは、その新しい名前なのだろう。何か意味が込められている事はわかるが、私は生きていた時の彼の名前が好きだった。
人間は本当に脆い生き物だ。
戦闘民族である夜兎は、見た目は人間と同じだ。人間と同じような物を食べる。違いは太陽に弱いか、身体が丈夫か、それくらいだ。それでもその違いは大きかった。私が1日で治す傷も、人間はその倍かけて治す。人間はすぐ死んでしまうのだ。人間はハムスターを育てるらしいが、人間がハムスターを簡単に握りつぶす事が出来るのと同じように、我々も簡単に人間を握りつぶす事ができる。飼育する側とされる側の様に、私と彼では住む世界が違ったのだ。
読めない字を、一文字ずつ指でなぞって読んだ気になってみる。この字はなんて読むのだろうか。そうだ、わからないのならあの人に聞いてみよう。
そんな事本気で考えてしまった私は相当頭がいかれてしまったのだろう。あなたの名前、読めないよ。こんな難しい字、わからないよ。もうこれじゃあ読み方も教えてもらえないのね。

「こんな所にいたのか、探したよ」

あの人の名前を呼ぼうとした時、後ろから声が聞こえた。声をかけられなければ気が付かない程に、目の前のただの石に集中していたらしい。一瞬肩が跳ねたけど、一々振り返る必要はなかった。後ろに誰がいるかなんて、振り返らなくても分かる。そいつがどんな表情をしているのか、そんなの決まっていた。ムカつくくらいニッコリとした笑顔を貼り付けたまま、傘も差さずにずぶ濡れにでもなっているのだろう。もちろん雨と返り血で。

「だめじゃないか、勝手に抜け出したりして。阿伏兎がカンカンだよ。それに、俺もお腹すいたし。」
「……阿伏兎がカンカンなのは、重役会議もすっぽかして私を追いかけてきた団長に対してでしょ。それに、お昼の分は作り置きしておいたでしょ。メモにも全部は食べない様にって書いた。それを読まずに完食したなら、それはただの馬鹿よ。」

そういえば花を持ってきていたのを忘れていた。すっかり濡れてしまった花束は、無意識のうちに握りつぶされていて可哀想だった。
本当は私もわかってて会いに来たはずだった。わかってたけれど、いざ真実を目の当たりにすると感情が抑えきれなかった。
雨の音は未だに途切れる事はないが、私と団長の間には妙な沈黙が流れた。やっぱり団長が今どんな顔をしているかは見なくてもわかる。けど、団長が何を考えているかなんてわからない。この妙な沈黙がどうしても嫌になって、茎がふにゃふにゃになった花束を乱雑に投げて供える。

「あーあ、団長のせいでシリアスぶち壊し。現実に戻って来ちゃったよ。」

ようやく私が振り返ると、やっぱり傘も差さずにずぶ濡れの団長が突っ立っていた。いつものムカつく笑顔で。顔や服の至る所には返り血。何をどうしたら、そんな格好でここまで辿り着くのか不思議で仕方がなかった。墓場がいくつあっても足りないだろう。

「傘、差しなよ。宇宙最強が風邪なんか引いたらお笑いものよ。ほら、ずぶ濡れだ。特別に私の傘に入れてあげるよ」
「傘差しててもずぶ濡れの女に言われても説得力がないなぁ」

傘差してるのにずぶ濡れなわけがないじゃない。これだから戦闘馬鹿は困るんだよ。そんな訳でないじゃない。そんな訳──。

「馬鹿だなぁ、名前は」
「そんな馬鹿を追ってくる団長も馬鹿だから」

団長が私の手を引いた。返り血で滑りそうになった手をしっかりと掴んで、団長は歩き出す。道端の草花になんて目もくれず、ズカズカと来た道を戻っていく。彼が通った道に咲いていた花は無残な形で発見される。
そうだ、最初から住む世界が違っていたのだ。私たちが花を育てる事も、その花を根元から引きちぎる事も簡単に出来る存在だった事を忘れていた。

血と雨の匂いが私の周りに纏わり付いて離れない。雨の音が、地面を蹴る音が。雨が頰を伝う感覚も、握られた手の感覚も、肉を切り裂き貫いた感覚も離れない。
これが夜兎の本能に呑まれた物の末路か。

あの人を殺したのは私だ。

(2019.8.23)
(2019.8.24 タイトル変更)